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目を醒ましてくれ

(先週熱海に行った日の日記)

 

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何が悲しいのか何に泣けばいいのか何に怒ればいいのか何がしたかったのか何が食べたかったのか誰に気に入られたかったのか誰に褒められたかったのか何処に行きたかったのか自分の感情すら今出すべきものなのか口から吐き出される言葉が本当に言いたかったことなのか、そういったものが本当に、どうしようもなく分からなくなってしまった。

ので、熱海に行った。

こういうことをするのは今回で3回目だけど、熱海に行くと言ってもぼんやりと海を見たりひたすら歩いたりするだけでなにか大きな目的があるわけではない。ただ今回は初めて1泊した(次の日神奈川でバイトなのもあったけど)。

6時に家を出て9時に熱海について、コンビニでコーヒーを買ってまっすぐ海にある喫煙所に行って音楽聞きながら煙草吸いつつ海を見つめるのがお決まりのコースになっている。

海にいる間、ずーっとGRAPEVINEを聴いていた。

 

1時間くらい経ってから一回離脱してごはんをたべたり崖を見に行ってそこでまた海を見つめたりした。崖に打ち付ける波はなかなかきれいだった。

海の方まで戻ってきて道路沿いの喫茶店で本を読みながらうとうとしたり煙草を吸ったりした。

夕方、また最初の喫煙所に戻って数時間過ごした。私が熱海に来るといつもどんより曇っているのだけれど(そこも好きだが)、今日は晴れていたので海に夕焼けが反射してきれいなオレンジ色になっていた。

 

ホテルのチェックインの時間が迫ってきた頃、そろそろ行くかと立ち上がって少し波打ち際を歩いた。少し肌寒いくらいの気候と生ぬるい風が気持ち良かった。

そのときipodからはGRAPEVINEの「覚醒」という曲が流れていて(バインの中でも多分1番くらいに好き)、もう何回も聴いた曲なのに「本当は誰のことも信じたくないのだろう」という歌詞が聴こえてきた瞬間、ものすごく腑に落ちたというか、そういえばそうだった、結局そこだったのだ、とまるで身体にぐっさりと刺さったかのように海から視線を逸らせないままその場で動けなくなった。

結局期待も希望も捨てきれずに中途半端な身体を持て余している自分がいるだけだった。それは1年前に熱海に来たときとなにも変わっていなかった。その現実と対面すると同時に、もう逃れられないのだ、という諦めにも似た開き直りもあった。

なんて考えていたらこのどうしようもない自分に笑えてきた。

GRAPEVINEの曲はいろんな諦めを歌いつつも、それでもまあ進んでいくしかないよな、という気持ちを表すのが本当に上手いというかなんというか、人間臭さと大人っぽさがあって、年齢を重ねていくごとにどんどん感じることが変わってくるからすごい。というか覚醒はメジャーデビュー曲なのだが本当にひねくれすぎていて好き(褒めている)。

 

妙な高揚感でホテルに向かった。かなりの安宿だったので部屋は結構古さがあって1階だったし部屋に入ったら使用済みっぽいタオルが床に落ちていた。でも特に気にせずベッドに飛び込み気が付いたらそのまま1時間ほど寝ていた。

晩ごはんを食べようと外に出たものの、観光の街だからか19時を過ぎるとほとんどの店が閉まっていたので暗い商店街の中でぽつんと光るラーメン屋でビールとチャーハンと餃子を注文した。

ホテルに戻る前に酒を買ってNHKの「きょうの料理」を酔っ払った状態で観て爆笑していた。

だらだらと過ごし2時頃に寝る。

 

チェックアウトが10時だったけど最後にまた海を見ておきたかったので少し早めにホテルを出て海に向かった。

昨日より曇っていたけど雲の隙間から射す朝日が眩しくも心地よかった。

また来年も1人で来るんだろうな、と思いながら後ろ髪を引かれつつ熱海駅につづく傾斜の凄まじい坂道を汗を流しながら歩いた。

そのまま週2日行っている神奈川のバイトに行った。

 

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熱海に行ってから1週間経ったけど”虚無”という感じが抜けず、精神的に安定はしているものの抜け殻のようになってしまっている。でも毎回熱海行ったあとはこんな感じだったような気もするので、じわじわ回復するのを待つとする。

結局死ぬまで生きるしかないんだよな〜〜〜〜〜〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

22:23

元気です。書きたいことはあるのに手が進まなかった。

夏。夏が終わる。と言いつつもまだまだ蝉も鳴くし暑さも続く。何故か9月になるともう秋になったような気持ちになる。今年はお祭りに行けなかった。あと毎年言ってるけど浴衣を着たかった。着る機会は今年も無かった。
毎年夏はちょっとつらい。季節的には好きな方なのだけれど妙に感傷的になってしまう。
 
この間ある人と飲んだ時、ずっと自分はこんな(駄目駄目な)感じなんだろうか、とこぼしたら「それはしろちゃんと一緒にいる俺のことを傷つけてるよ」「自分だけ傷ついてるって思ってるだろうけどそういう時って周りの人間も傷つけてるよ」と言われて「確かにそうだな」と思うと同時に、自分のことしか考えてなくてその上周りが優しいから、自分の知らないところで今までいろんな人を傷つけてきたんだな、と思った。自分が気を使っていると思っていたのは単に自分がどう思われるかが怖いから行っている自己保身でしかなく、実際相手からしたらその行動こそが自己中心的に思われていたのかな、とか。
本当の人の気持ちなんて全然わからないしわかったところでどうしようもないということはわかっている。人の気持ちを操作することなんてできない。
ただ自分が楽しいな、と思っている時に相手は笑ってくれてるけど実際めちゃくちゃ「帰りてえ〜」とか思われてたらつらいね、というだけの話。こんなの今までめちゃくちゃあったんだろうな。申し訳ない。

今日はバイトが終わってからバスタ新宿に行って(初めて来たけど思っていたよりコンパクトな感じだった)、さっき香川行きの夜行バスに乗った。今はバスの中でこれを書いている。携帯の充電どうしようかと思ってたけど椅子にコンセントがついていて助かった。金銭的な問題と休みが2日間しかないので明日の夜にはまたバスに乗って帰る。
今日明日の移動が埼玉(家)→神奈川(バイト先)→東京→香川→東京→埼玉でなんとも激しい。
なんでこんな弾丸で行くかというと、丸亀の美術館で行われている志賀理江子さんの展示をどーーーーーーしても観ておきたかった。本当に好きな写真家なので、以前の仙台での展示のときも当時学生でお金がないにもかかわらず、本当に展示だけ観て滞在時間半日とかで帰ってきた。
あと展示は見逃すと2度と同じようには観られないし、写真集で観るのももちろん好きだけど、展示でしか得られない感覚もあると思っている。どちらも好き。

7月後半は写真祭の展示設営ボランティアで11日間北海道にも行ったし、なんだかんだ夏を満喫しているのかもしれない。ずっと写真のことだけできて楽しかった。
北海道のごはんが全部美味しくて普段食べることに無頓着な私ですら「うまい!!!!!!」となったので帰ってきたら体重が数キロ増えていたのだけれど1週間で北海道に行く前より減った。北海道と関東の暑さの差に完全にやられた。

深夜バスの静かに目的地に向かってく感じとか、窓から見える景色とか、深夜のサービスエリアで吸う煙草とか、ただただぼーっとぼんやり考えごとする時間とか、そういうのがあるから好きだ。というか旅行で1番楽しいのって目的地に向かってるときなんじゃないかと思う。

香川まであと10時間くらいかかるみたいなので、持ってきた穂村弘の詩集を読みます(手紙魔まみ)。
ほむほむ(ファンは穂村弘をそう呼ぶ)の短歌もエッセイも好きだけど唯一ちゃんと覚えてる短歌が、
「フレミングの左手の法則覚えてる?」「キスする前にまず手を握れ」

なんだけどなんでだろうな。

あと

「人類の恋愛史上かつてないほどダーティな反則じゃない?」

も好きだ。

 

なんか何も考えずに書いてたら取り留めない感じになってきた。

香川楽しんできます。

 


証拠暴力恒星合併

安定して仕事をするようになりました。と言ってもバイトなんですけど。週の始めと終わりに働いて、間は休みにしているんだけど、別件で進めている仕事(と言っていいのかまだ分からない案件)とかもあってさっき5月の手帳を見返したら予定が書き込まれていない日が1日しかなかった。4月は空欄の方が目立っていたのに。

Twitterにもブログにも書くことが浮かばず、音楽もiPodに前から入ってる曲を繰り返し聴いて、部屋には荷解きできていないダンボールの山山山、ベッドの上だけが生活範囲となり、前の家の荷物が詰まったダンボールの上に化粧品と鏡を置いて、しかめっ面で顔に色んなものを塗りたくり、全財産が5000円以下になった。


いつも悪態をつきながら話を聞いてくれていた人が夢に出てきてこちらに微笑むので、あれは優しさだったのだ、と会いたい気持ちが大きくなっても、こちらからそんなことを言える立場でもなく、ただSNSへの投稿で生きているのを確認しているこのどうしようもない日々に、自分自身に、ただただ泣きたくなるのを最近の夏みたいな夜の空気のせいにする。そんなことを思い出すのも全部自分が不安定なだけで、そんな状態で向き合ってもいつもの感情の右ストレートバチコン決めたるぞみたいな暴力的なコミュニケーションを取ろうとするゆえの相手ドン引きフェードアウトという結末が明らかだし、なのに自ら飛び込んだくせに傷つきましたよみたいな顔をしてしまうのが嫌なのでなるべく誰が好きとかそういうことは考えたくない。所詮縁の無い世界だと割り切るのが1番なのは百も承知なのでそんなことを思うことが無いくらいに別のことで頭をいっぱいにするしかない。今までだってそれで誤魔化してきたのだから次だって、きっと、できるはずだ、と思えば思うほど心のどこかがぼろぼろと崩れていく感覚には未だに慣れない。慣れたら本当に全てどうでも良くなるんだろうな。

 

春なら全部捨てた

 

 

朝日がこの世に必要ない人物も必要な人物も等しく炙り出していく。平日の、7時台の電車は学生と感情を抑え込んだスーツ姿の人々で飽和する。朝には似合わない、煙草の匂いが染み付いた服でその塊に入り込む。明らかにここにいてはいけない、疎まれる存在であるのを自覚しつつ、眼を閉じて早く目的の駅に着くことを祈る。
通常おおよその人々が憂鬱な気持ちで、中には楽しみに包まれている人もいるかもしれないが、この小さい箱に有象無象に詰め込まれてそれぞれの目的地に向かうのであろう時間帯に、定職につかなくなってから約1年半、自分だけは自宅に眠るために帰るという機会が幾度となくあった。それは単純に働く日が違うというだけのこと、といえばそれだけなのだが、それだけのことなのに酷く後ろめたい申し訳無い気持ちになる。本当にそれだけか?

 

制服を着た小学生の集団が声量を気にせず話し笑っている。"怖いものなんてありませんよ"みたいな明るい未来感をボディに打ち込まれているような気持ちになり体力を奪われていく。私はそんな君たちのような存在が怖い。(個々の子供たちがどう思ってるなんて知らないし至極どうでもいいけれど)

先の未来が楽しみだとかそう思うことが許されないみたいな、よく分からない抑圧感は確かに漂っていて、そんな能天気なことをいうな、これだからこの世代は、だから今の若者は駄目なんだ、と自分より長く生きている人間にこれが正解ですみたいな顔で言われてもはあ、と惚けた顔でしか返してこなかったのでそんなことを言う人たちの声はまともに聞いていなかったけど、やっぱり分かった気になって能書き垂れてんじゃねえぞ、くらいは思う。

 

 

駅に向かう集団の間をすり抜けて逆走して、4月の朝日の殺人的な眩しさ(朝日はいつだって眩しい)に目の前がチカチカと点滅して、太陽の下はいつだって居心地が悪くて、丸裸にされて笑われているような気持ちになって、うるせえこれが私の選んだ世界だぞ、闇を這い蹲ることすら引け目に感じるなんてたまるかよ、と地面を睨みつけながらずんずんと進んで、登校中の小学生の赤いランドセルの鮮やかさが眼に突き刺さって、意識が遠のきそうになる我が身が、どうか、いつか、救われますように。あわよくば何かに救われなくたって自分で重心を保っていられますように。と自分の中に形成された神的な存在に、祈るというにはおこがましい、言うならば近しい友人にメールするくらいの感覚でそっと滑り込ませたのだった。返信なんていらなくて、ただ受信したという証明が欲しかっただけだ。

 

 

 

23:59

 

今日も寝ては起き寝ては起きを繰り返し、起きている間は最悪の結末ばかりを想像し、気がつくと日付が変わる数十分前だった。まるで義務のように外に出ておくかと思い冴えない部屋着と冴えない顔をコートとマフラーで隠し、部屋の電気と暖房をつけたまま外に出た。昨日は暖かく春一番が吹いていたらしいが今日はそんな気配もなく、最近切ったばかりの短い髪から無防備に出ている耳に、ピアスの冷たさも加わって冷たい風が突き刺さる。

家から一番近いコンビニに入ったら妙に人が多く、空気も淀んでいてなんだか気持ち悪かった。店内を1周もしないうちに店を出た。複数の人が商品を探してうろうろしている様子が水槽の中の魚のようで、決まっているようで決まっていない動き。自分もその中の1人なのに、この時は何故か混ざれる気がしなかった。

少し歩きたい気持ちもあったので、存在は知っていたがここで暮らし始めてから一度も行ったことのないコンビニに向かうことにした。そのコンビニは大きい信号の少ない道路沿いにあって、自宅からそう距離が離れているわけではないのだが、なにせ駅の反対側にあるので行く用事もなかった。大きい道路沿いを黙々と歩く。普段から車の通りが少ないと思っていたが、土曜日なのと23時台ということもあり4車線あるにもかかわらず恐ろしいほど静かだった。冬の冷たい空気でなおのこと静かさが強調されている気もする。私以外誰も歩道にいなかった。歩き続けていると、目的のコンビニを発見する。周りに建物もなく、街灯も少ないので煌々と光るその店は周辺の景色から明らかに浮いていた。店内に入るとやたら白っぽい照明が目に刺さる。このチェーンのコンビニの照明はとにかく白くて眩しい。床も白いので反射光も加わって余計にそう思う。蛍光灯の色温度の問題だろうか。客は誰もおらず、レジにも店員がいなかったので、1件目との差に一瞬戸惑う。しかし店の奥を見ると赤と紺の制服を着た店員が商品を棚に詰めていたので少し安心した。このコンビニは少し前に別のチェーンのコンビニに合併吸収されることが決まり、現在移行中らしく店内の商品は2つのコンビニの商品が置かれている状態である。この店も例に漏れずその状態だったのだが、棚の空白がやけに目立つ。

私はいつもコンビニに来るとぐるぐると店内を歩き回ったのち特に欲しくもないであろうものを手に取り会計を済ませ、店を出た直後に後悔する。下手すると手に取った時点で後悔するとわかっているのにレジに向かう。これはコンビニに限らずだが、常日頃自分の欲求が分からない。これだ、と思ったことさえ本当にそうなのか?と別の自分が邪魔をする。自分の欲求が全て体裁を保つための嘘なんじゃないかと思う。そもそも体裁とは?人間としての体裁?自分が無いと思われるのが怖くて人前では何かに興味が有る振りをしているだけで、本当は(この本当も嘘なのか?)何も思って無い。いつかそれを誰かに見抜かれて諦められるのが怖い。今回もまたそんな思考に陥りながら虚ろな目で店内を2、3周していると、店内の有線から「0時をお伝えします」という音声が流れてくる。いつもこんな風に時刻の区切りを放送していただろうか?聞き馴れない情報に余計現実味が失せていく。店内の照明も相まってまるで作り物のような、全部嘘っぽい景色に思えてくる。棚の値札に付いたポイント5倍の文字。18禁の雑誌の棚が入り口横にあるのはいいのか?値札のついていない商品と付いている商品の違いは?そういえば有線の音量がやけに小さい気がする。別々のコンビニブランドの商品が入り混じった棚。品切れだらけのお菓子棚。このコンビニだけ世界と乖離した場所にあるような気さえしてくる。いまどこにいるのか?

適当な商品を手に取りレジに向かう。棚の前にいた店員はいつの間にかレジ内でまっすぐ立って私を待っていた。この光景すら妙に違和感を感じる。もっと人間味を持って待っててくれ、なんて変な要求を浮かべつつ、去年の祖母の葬式で貰ったクオカードで支払いをする。また無駄なことに使ってしまったな、と思う。

会計を済まし、再び冷たい風が待つ外へ出る。振り返って確認したがあの光はどうにも異質で、暗闇の中にぽつんと在るこのコンビニもそれを含めた光景も、やはりどこか嘘っぽかった。昼間来たらありませんでした、なんてなったら面白いのにな、と思いながら行きとは違う道で帰った。帰りも歩道に私以外誰もいなかった。車の走る音とこれまた漫画みたいにぴゅうぴゅうと風の吹く音だけがあった。ぽつぽつと頬に水が当たる感触がしたので雨が降るのかな、と思いつつ帰宅後Twitterを開いたら、どうやら雨ではなく雪のようだった。今窓を開けて確認しようとしたのだが外が暗すぎてそもそも雨が降っているのかも分からなかった。

 

 

 

 

 

21:19

大学1年の頃に作り直し5年半くらいちまちま書いていたブログがあまりにも個人的すぎて暗すぎて嫌になったので作り直した。

 

インターネットに日記を書くのは形が変わりつつもかれこれ10年くらい続けている。
一つ前のやつ以外は全て消してしまった。
文体の稚拙さとネットスラング使いまくりの寒い内容のオンパレードな中学1年生の時のブログなんて、もし今見直したら恥ずかしすぎて死ぬ。

 

改めて自分のことを書こうと思う。


名前はしろです。本名からとっただけ。
去年まで大学で写真の勉強をしていた。
今もちまちま撮っていますがあまり上手くはない。
写真あげてるTumblrbut,

 

大学を卒業してから半年ほど出版社に勤めるも諸事情で退職し、現在は税金と家賃で死にそうになっているフリーター。
東京で一人暮らしをしているものの毎月家賃の支払いが遅れている。

 

ブログの名前の「Δ(delta)」は私の左手首に三角形の刺青が入っているから。
あと三角形が好きだから(大学の卒業制作のタイトルも「delta」だった)。

 

そんな人間です。
よろしくお願いします。