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春なら全部捨てた

 

 

朝日がこの世に必要ない人物も必要な人物も等しく炙り出していく。平日の、7時台の電車は学生と感情を抑え込んだスーツ姿の人々で飽和する。朝には似合わない、煙草の匂いが染み付いた服でその塊に入り込む。明らかにここにいてはいけない、疎まれる存在であるのを自覚しつつ、眼を閉じて早く目的の駅に着くことを祈る。
通常おおよその人々が憂鬱な気持ちで、中には楽しみに包まれている人もいるかもしれないが、この小さい箱に有象無象に詰め込まれてそれぞれの目的地に向かうのであろう時間帯に、定職につかなくなってから約1年半、自分だけは自宅に眠るために帰るという機会が幾度となくあった。それは単純に働く日が違うというだけのこと、といえばそれだけなのだが、それだけのことなのに酷く後ろめたい申し訳無い気持ちになる。本当にそれだけか?

 

制服を着た小学生の集団が声量を気にせず話し笑っている。"怖いものなんてありませんよ"みたいな明るい未来感をボディに打ち込まれているような気持ちになり体力を奪われていく。私はそんな君たちのような存在が怖い。(個々の子供たちがどう思ってるなんて知らないし至極どうでもいいけれど)

先の未来が楽しみだとかそう思うことが許されないみたいな、よく分からない抑圧感は確かに漂っていて、そんな能天気なことをいうな、これだからこの世代は、だから今の若者は駄目なんだ、と自分より長く生きている人間にこれが正解ですみたいな顔で言われてもはあ、と惚けた顔でしか返してこなかったのでそんなことを言う人たちの声はまともに聞いていなかったけど、やっぱり分かった気になって能書き垂れてんじゃねえぞ、くらいは思う。

 

 

駅に向かう集団の間をすり抜けて逆走して、4月の朝日の殺人的な眩しさ(朝日はいつだって眩しい)に目の前がチカチカと点滅して、太陽の下はいつだって居心地が悪くて、丸裸にされて笑われているような気持ちになって、うるせえこれが私の選んだ世界だぞ、闇を這い蹲ることすら引け目に感じるなんてたまるかよ、と地面を睨みつけながらずんずんと進んで、登校中の小学生の赤いランドセルの鮮やかさが眼に突き刺さって、意識が遠のきそうになる我が身が、どうか、いつか、救われますように。あわよくば何かに救われなくたって自分で重心を保っていられますように。と自分の中に形成された神的な存在に、祈るというにはおこがましい、言うならば近しい友人にメールするくらいの感覚でそっと滑り込ませたのだった。返信なんていらなくて、ただ受信したという証明が欲しかっただけだ。