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そこで照らされておいて

 

 

 

ある日、部屋の電気を消して寝ようとしたら満月の光がベッドをぼんやりと照らしていた。ああ満月って明るいんだな、磨りガラス越しに見る月は大きい靄みたいになってて丸くないな、正円として明るさで存在を放っているのはすごいな?とかよくわからないことを思った。

見える部分に輝きや尊さを見出しているだけなのかもよ?なんて捻くれたことも後追いでやってくる。

 


日々。街で聞いた救急車の音が自分に刺さるようで耳を塞いでしまう。生きるために泣いている子供の泣き声にこっちが泣きそうになってしまう。電車の中で愛の言葉をささやき合う恋人同士の声が耳に注ぎ込まれている気がする。さっきから隣の部屋と下のリビングのテレビの音がドアを閉めていても聞こえている。さっきから隣の部屋と下のリビングのテレビの音がドアを閉めていても聞こえている。さっきから隣の部屋と下のリビングのテレビの音がドアを閉めていても聞こえている。さっきから隣の部屋と下のリビングのテレビの音がドアを閉めていても聞こえている。

聞こえている。

 


誰もいない水辺で内緒話してるみたいに擦れ合う草の音は安全・安心だった。安らかな全て。安らかな心。どうか、もう、そうなってもらえないか、と窓から射す満月の光が照らす薄暗い部屋の中で祈るように思うことは、自分勝手で傲慢でわがままだと笑われてしまうんでしょうか。そう思ってしまうのは、自分が本当はそれらに対して恐怖を抱いているからなのでしょうか。どういったものかもわからないのに欲しいと思ってしまうのは、子供じみていると笑われますか。