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左腕だけ冷えてる

 

 

2019年。別段何が変わったというわけではないがいよいよだな、いよいよだよ、という思いが強くなっていく。終バスを逃して夜中に歩いていると「横断者に注意、スピード落とせ」の看板を見た。私は横断者側だった。歩いていたのでマフラーを巻くのを忘れていた。世間一般の若さ、若さ、若さ、にぶん殴られている毎日。「わかる」ということから逃げ出したくて詩を読んでいる。わからないことがわかる。なにもわかっていないということがわかる。ということがすべてわからない。最近の移動中は小笠原鳥類の詩集を読んでいるのでこの文章も早速影響を受けている。おはようございます(リスペクト)。質問の意味をすぐに理解できず自分でもよくわからないことを口にしてニコニコしてしまうことが増えた。脳の壊死しているところがどんどん広がっている気分が何年も前から続いている。生活の中でピアス、指輪、刺青、の存在を改めて認識すると無機質な、硬い物質が自分の身体にあるのだ、ということに安心してしまう。簡単に形が変わらないものを潜在的に求めている。ない。安心という手に入らない概念を身に付けて安心している気分を得ている。恋愛というものから遠ざかりたくて誰かのなにかに救いを求めてしまうのをやめたくて自分がそういう感情を持ってしまうことでもう誰にも迷惑をかけたくなくて、なるべく焦点を合わさないように生活をする。少しマシになってきました。いつだって泣ける準備ができているのにいざ泣きそうになると「何に泣いているんだ」と思う。他人事。でもどこかで共感で泣いているんだろうなと考えてしまう。創作に救いを求めて救われた気になるな。人生イズベリーハードにしているのは紛れもなく己自身。生きづらく死にづらい。「お客さまご覧くださいこのとおり!」と通販番組のアドバイザーの声に従って瞬き禁止でご注目(ここまでテンプレ)。真っ黒が真っ白になっているのですばらしいのだと言っている。すばらしいのだと言っている?画面の向こうではこのために作られた擬似的な黒いものがたくさん落ちている。落ちたということは消えたということではないのか。通販番組が続く限り落ち続けているのだなあと思う。いいものだけを紹介されている。「人生 求人」とindeedで検索するのをやめたほうが健康にいい。自分と関わってくれている人に頭を向けて寝られないので昔のダゲレオタイプの撮影みたく身体を機器で固定して寝よう。黒沢清監督が好きなのにまだ『ダゲレオタイプの女』を観れていない。

 


ぼーっとしていても生ハムは今日もおいしい。味がするから。それはうれしい。なのでまだ大丈夫なのだと思う。元気です(笑顔でダブルピースしてジャンプ)。